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受け継がれていく三種の神器

与国秀行
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 伊勢神宮に祀られ、八百万の神々の最高神と云われる天照大神、その弟の須佐之男命が暴れると、姉の天照大神は岩戸の中に閉じこもってしまいました。太陽神がいなくなったことで、世は闇に包まれました。
 どんなに説得しても、岩戸を開けない天照大神でしたが、思兼神(おもいかねのかみ)が一計を練り、神々が協力して八咫鏡(やたかがみ)と八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)を創り、天宇受売命(あめのうずめのみこと)が肌もあらわに踊ると、神々は大いに笑いました。
 すると天照大神は、その「笑い声」が気になって、少しだけ岩戸を開けました。この隙に、手力男神(たぢからおのかみ)が岩戸をこじ開けました。こうして太陽神が再びお戻りになられて、日の本は明るくなりました。
 「芸能」と「笑い」が、太陽を昇らせた日出国(ひいずるくに)、それが私たちの国、日本なのです。
 その頃、出雲国(いずものこく)に降り立った須佐之男命は、八岐大蛇(やまたのおろち)を酒で酔わせて、八つの首を斬り落としました。大蛇の尾の中にあったのが天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)です。須佐之男命は八岐大蛇の退治と引き換えに、櫛名田比売(くしなだひめ)を妻にしました。そして須佐之男命は、八岐大蛇の尾から出てきた天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)を天照大神に献上しました。
 こうして八咫鏡(やたかがみ)と八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)、そして天叢雲剣といった神道の「三種の神器」が揃いました。
 そして天照大神は、孫にあたる邇邇芸命(ニニギノミコト)にこの「三種の神器」と稲穂を渡して、「この稲を育てて葦原中国(あしはらのなかつくに)を治めなさい」と命じました。こうしたことから、邇邇芸命(ニニギノミコト)が降り立ったその土地は、「稲を高く積む場所」として、「高千穂(たかちほ)」と名付けられました。宮崎県の高千穂町です。これを「天孫降臨」と云います。ちなみに他の都道府県にも「天岩戸」とされる場所はかなりの数ありますが、この高千穂町にも天照大神が閉じこもったとされる「天岩戸」があります。邇邇芸命(ニニギノミコト)は木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)と恋に落ちるも、戦へと旅立っていきました。
 また、「オオムナジ」という神様は、いつも兄弟たちから虐げられておりました。そこでこの神様は、須佐之男命のもとに逃げ延びて、須佐之男命の娘の須勢理比売(すせりびめ)と恋に落ちました。しかし須佐之男命は、その恋を認めませんでした。「オオムナジ」は須佐之男命から与えられた幾多の試練を乗り越えて、ついに結婚を許されて、「大国主命(おおくにぬしのみこと)」と名乗るように命じられました。成長を遂げた大国主命は周囲の国々を平定していきました。そして大国主命は、それらの統治した国を、天孫降臨と遂げた邇邇芸命(ニニギノミコト)に潔く譲ります。これが「国譲り神話」です。
 邇邇芸命(ニニギノミコト)のひ孫が、「カムヤマトイワレビコ」です。カムヤマトイワレビコは九州は宮崎県の日向の地を発つと、九州から奈良県まで勢力を拡大し、そして初めて天皇陛下に即位して、「神武天皇」と名乗ったとされています。
 神武天皇から数えて第十二代の景行天皇の皇子が日本武尊(やまとたけるのみこと)です。日本武尊は大和朝廷に敵対する熊襲討伐に出かけていき、その際に日本武尊は伊勢神宮で八岐大蛇から出てきた天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)を拝受します。そして現在の静岡県・駿河国で敵に囲まれ、火を放たれた際に、日本武尊はこの神剣で草を薙ぎ払って火を追い返しました。こうして「天叢雲剣」は「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」とも呼ばれるようになりました。
 今も八咫鏡(やたかがみ)は伊勢神宮に、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)は皇居に、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)は熱田神宮に祀られております。この天照大神より今でも、「三種の神器」を受け継いでいるのが天皇陛下というご存在なのです。

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