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三大神勅と大御宝という日本の国体

与国秀行
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天照大神が孫のニニギノミコトを地上に遣わせる時、三種の神器と稲穂を手渡し、そして「三大神勅」というものを与えました。「神勅」とは神が与えた命令のことです。
まず一つ目の神勅が「天壌無窮(てんじょうむきゅう)の神勅」です。
内容としては、「豊かに生い茂るあの瑞々しい聖なる国は、これ我が子孫が代々治めるべき地である。我が子よ、行って治めなさい。さあ、お行きなさい。お前たちのその王たる御位は、天地と共に永遠に栄える事でありましょう」、そのように天照大神はニニギノミコトに命じたわけです。すなわち子々孫々に渡って聖なる国・日本を治めていきなさいと、そう天照大神は命じたわけです。
二番目が「宝鏡奉斎(ほうきょうほうさい)の神勅」です。
内容としては、「我が子よ、この鏡をご覧になる事は、私を見るのと同じであると考えよ。この鏡をお前の住む宮殿内に安置し、お祭りをなすときの神鏡にしなさい」、そのように天照大神は命じました。すなわち天照大神は、「カガミ」という言葉から「ガ」を取ると「カミ」という言葉になるように、国民を幸せにして苦しめることがないように、常に「自分が、自分が」という我をそぎ落としなさい。随神(かんながら)の道、神への道を歩んでいくように天照大神は命じたわけです。
最後の三つ目が「斎庭稲穂(ゆにわいなほ)の神勅」です。
内容としては、「私が高天原に作る神聖な田の稲穂を、わが子に授ける事としよう」、つまり天照大神は稲穂を手渡して、聖なる国・日本を豊かに繁栄させていくように、ニニギノミコトに命じたわけです。
三大神勅はニニギノミコトから神武天皇へと受け継がれ、代々、天皇陛下へと受け継がれていきます。そこにあるのは、日本を聖なる国とし、国民を「大御宝(おおみたから)」として何よりも尊い存在とし、日本を繁栄させていかんとする精神です。
たとえば第16代仁徳天皇は、高台に登られ国を見渡されました。するとどの民家のかまどからも、煙が立っておりませんでした。これを目にした仁徳天皇は「煙が立っていないのは民が貧しいからである。三年間、民から税金を取ることを禁止する」と仰せになり、免税を行われた。そのために皇居は、屋根を葺(ふ)く材料にも事欠いてしまいましたが、しかし仁徳天皇は気になさりませんでした。三年後に仁徳天皇は、かまどから煙が盛んに登るのをご覧になられて、「我は富んだ。素晴らしき事だ」と仰せられました。その言葉を聞いた皇后陛下は、「このような状況でなぜ富めるのですか?」と問いかけました。すると仁徳天皇は「政(まつりごと)の基本は民である。民が富まねば天子である私も富んだ事にはならぬ」と仰せになられました。
豊かになった諸国の民や権力者たちは、「民は豊かになったのだから皇居の修理をせねばならない、このような時に税を治めねば天罰を受けます」と言上しましたが、それでも仁徳天皇は、さらに三年間の免税を続けられました。
しばらくして民たちは、「天皇陛下に、こんな貧相なところに住んでもらうのは申し訳ない」と憂いて、仁徳天皇はようやく税を解禁されました。すると諸国の民が、大挙して都に詰めかけ、自主的に皇居の修理や納税に励んだのです。
「三種の神器」と共に「三大神勅」を受けついで、国民こそを宝と考える天皇陛下、その天皇陛下というご存在が、征夷大将軍や総理大臣といった職務を任命して、そして為政者たちは、徳をもって、聖なる日本のため、国民のために政治を行ってきた、それが日本という国の姿なのです。
そのために天皇陛下および皇室を汚すという行為は、日本において許されるものではないのです。たとえば明治維新の際、維新の志士たちは、江戸幕府を倒すにあたって、天皇陛下というご存在が必要不可欠でした。なぜなら倒幕勢力よりも江戸幕府のほうが力があったからです。そのために彼らは、「錦(にしき)の御旗(みはた)」を掲げなければ、江戸幕府を倒すことは不可能でした。「錦の御旗」というのは、この日本において「朝敵」、つまり天皇陛下に敵対する勢力を、討伐する時に掲げる軍旗のことです。
戦国時代に終止符を打った徳川家康も、第107代後陽成(ごようぜい)天皇から征夷大将軍に任命されて、そして第15代将軍徳川慶喜へと、その征夷大将軍の地位は受け継がれていきますが、しかし倒幕勢力が「錦の御旗」を掲げると、今度は江戸幕府が朝敵となってしまったために、徳川慶喜は戦争を行わずに江戸に帰ってしまったのです。こうして明治維新が起こりました。
このように、この日本において、天皇陛下という存在は、それほど絶大な影響力を持っていたのです。たとえば先の大戦の後、GHQが日本にやって来た時も、天皇陛下が「戦争は終わり」と言ったことから、日本は一瞬にして戦争状態を終えました。しかし一方のイラクなどでは、たとえフセインがアメリカに捕まっても、各地で争いが続きました。

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